被爆の後遺症を太極拳で克服

山田
本部会員 山田さん

山田さんは昭和19年6月27日、長崎に生まれた。

翌年の夏、一生を左右する事件が起こった。長崎に原爆が投下され被爆したのである。

小学一年生まで何事もなく育ったが、徐々に被爆の兆候が現れ始めた。胸に拳骨大の腫物ができた。骨の病気カリエスだった。

以来、様々な痛みとの戦いとなった。

現在、明るく元気一杯の山田さんに、そんな過去があったなど想像もつかない。
「これも柔拳と出会ったお陰なんです」という山田さんにお話を聞いた。


今は元気に暮らせていますで、過去のことは家族にも余り話さないんです。

でも、小さいときからことあるたびに大病を患い、言葉に表現できないほどの痛みに悩まされてきました。

小学6年生の時、背中に悪性腫瘍ができ腫れ上がってしまい手術することになりました。体力低下のため麻酔がかけられず、痛みに暴れる私を大人5人が押さえつけて手術したのですが、医術の進歩がない頃のこと、完熟した石榴のような局部を十字に切開し、ガーゼを詰めて薬をつけるしか方法がないのです。

立ち会っていた父に、危篤状態に陥り朦朧とする意識の中で「もうよかやろ、もうよかやろ」と懇願すると、私の手に父の涙がぽたぽたと落ちてきました。「酷すぎる」と泣いたそうです。

幸い、その後、父の友人のアメリカ人船医が新薬を処方してくださり九死に一生を得ました。

その次は中3の夏、直径三センチくらいの紫色の斑点が全身に広がったのです。耐えられぬ痛みと痒みで原爆病院に入院。治療法がわからず、医師の決断で斑点を一つ一つ紫外線で焼くことになり、これが功を奏して完治し、その後は順調でした。

しかし、42歳のある日、突然左足に激痛が…。またもや被爆の後遺症の始まりかと、二歳になる子供を抱きかかえて街角にうずくまる私に声をかけてくれた方が、偶然医師で、診察していただきました。

私の病歴を聞き、「これは現状維持で一生つきあうしかない、太極拳をやってみたら、いいそうだよ」と勧めてくれました。

それがきっかけです。

最初の頃は痛みに涙しながらの練習でしたが、1年経つと痛みが消えました。痛みで靴下さえ履けず素足に下駄履きだったのに、スニーカーが履けるようになり、形意五行拳へと練習が進むと嬉しいことに体が確実に変わって行く実感があるのです。

再発の不安が完全に消えたとは未だいえませんが、今はその実感が楽しくて仕方ありません。そのうち、再発の不安も忘れるのではないかと期待しています。

なんらかの病気を抱えて太極拳を始めた方々に、私は心からメッセージを送りたい、「諦めずに信じること正宗太極拳の素晴らしさを!」